昔では珍しく、父は一人っ子。初孫が女の子。祖父母に、とても大切に育てられました。
幼稚園からピアノを習い始めると、めきめき上達し、一躍クラスの人気者になりました。
小学校に上がっても、学校内外の合唱コンクールの伴奏は、私、と誰もが認める存在でした。
学校では、ピアノが私の存在価値を認めてくれているような気になっていました。
ところが、中学に入ると、一年上に、優れた演奏力があり、また知的で、先生や友人からも信頼厚い先輩の存在から、
私の居場所がなくなって、自信喪失の日々を送ることになりました。
まったく自分の出番がなくなってしまい、本当に寂しい思いで学校を通っていました。
ベートーベンのソナタやショパンの名曲など、練習してもなかなか思ったように弾けません。
どうしていいのか、孤独な日々でした。
それを見て母が心配し、他に数人のピアノの先生からもレッスンを受けることになりました。
その中の一人の先生が、音楽は好きなのに、悩んでいる私を見て、作曲を学んでみますか?
と声をかけてくださいました。ピアノの先生のご主人様が、作曲家でいらしたからです。
音楽の世界で、新しい自分が表現できると考え、すぐレッスンを受けました。
同時に、音楽大学附属音楽学園にも、入学することができ、ソルフェージュなど、かなり難しい聴音・音楽理論を学ぶことができました。
中学の3年間で、音楽活動に必要な基礎力を、しっかり身につけられたことは、本当に幸運で、大きな財産になりました。
しかし、音楽理論・和声学が、難しくて進みません。わからないといってよく泣いていました。
ところが自由曲になると、俄然元気になって、次々作品を持って行き、先生から褒めていただけました。
しっかり和声学の理論にあっていて、しかも個性的で素晴らしいねと、目を細めて奥様のピアノの先生まで喜んでいただけました。
高校では、エレクトーンの音色に興味を持ち、ポピュラー・映画音楽を楽しむ父の影響もあって、習い始めてから、それらの勉強が実を結び、学園祭では、ポピュラー曲などアレンジして、友達3人一緒に、トリを務める人気グループとして活躍することができました。
その後、音楽大学で作曲を学び、そこでも個性的な作品に、
先生や友人からも期待の眼差しで応援していただけ、充実した日々を送ることができました。
ピアノ演奏では、行き詰っていて、行き場のなかった私ですが、
新しい道、創造・想像の音楽の世界が開かれてから、次々、自己表現する場を得られ、心から通じあう友達とも出会えました。
結婚後、娘を授かり、その子にもピアノをと教え始めてから、近くのお友達も一緒に教えてほしいと頼まれ、30年になります。
近くの集会所やホールで、子どもたちの作品発表会イベントなど、たくさん開いて楽しんできました。
和声学・音楽理論・即興など困惑しているという大人や子供たちも、はじめて習うピアノレッスン時から取り組めば、自然と想像する音楽が広がります。
そういうお手伝いができたら、もっとピアノに広く興味を持つことができたり、お友だちとも楽しく交流できたり、怒りやさびしい思いから解放されたりして、音楽を友達として、長く続けていけるのではないでしょうか?
そういう思いで、即興作曲スタジオを立ち上げました。